雄翔館のご案内

雄翔館にご来場いただいた皆様のご意見・ご感想を掲載しています。

2023年06月04日

千葉県  斎藤様

現在の幸せな日常はあなた方のお陰なのですね。病気をして、少し気が沈んでいましたが、精一杯生きようと思います。

ありがとうございます。

令和五年(日付記載なし)

千葉県 斎藤様

2023年06月04日

竹園東中学校   学生

戦争で大変多くの命を亡くされている方々の遺書、遺品を見て、とても胸が痛みました。この雄翔館を見学して、とても良いことだけを学べると思いましたが、そうばかりでないことも学んで、戦争での命の尊さを改めて思い知らされました。本日は、見学させていただき、有難うございました。

令和五年六月

竹園東中学校 学生

2023年06月04日

竹園東中学校   学生

予科練生たちの「本当の声」を知れて、とても貴重な体験ができました。実際の字を見れて良かったです。貴重な資料がたくさんありました。

ありがとうございました。

令和五年六月

竹園東中学校 学生

2023年06月01日

常陸太田市  山崎様

海原会の皆様、ありがとうございます。三人の子供達、遺書や遺品、兵隊さんたちの御魂を感じる機会をいただけたことに感謝です。

学校教育では教われない大事なことを学べる場所を守ってくださっていることがありがたいです。

次の世代に親として伝えていきたいこと、いくべきことを改めて感じました。大和の心、大和魂、家族や子孫の為に命を捧げてくださった生き様、子孫にとってこれ以上の愛はないように感じます。今の子供達の心の支えになると思います。

令和五年六月

茨城県常陸太田市 山崎様

2023年05月04日

所沢市   藤野様

貴重な資料を拝見、拝読させていただきました。ただただ皆様、英霊のご冥福をお祈りするばかりです。

ありがとうございました。

令和五年六月

埼玉県所沢市 藤野様

2023年05月03日

住所・氏名不詳

こちらに展示されている予科練生たちは、父母に感謝の気持ちを忘れず、一片の曇りもなく命を捧げていたものと思います。しかし、中には入隊してから二年程度で戦死した方もいるようです。十分とは考えにくい飛行技術で敵の砲撃をかわした上で本来の目的が達成せられたのか甚だ疑問です。そのような方に作戦を命じた指揮官、技術のレベルを知っていたであろう教官、こういった方々の置かれた心境も展示していただきたいと感じました。

(日付・住所・氏名記載なし)

2023年05月03日

横須賀市   長谷川様

今日この日に、この地を訪問出来て予科練先輩の皆様にお会い出来たことを喜び、その勲を偲ぶことが出来ました。海軍航空隊の中核としてこの予科練制度が発足して十数年、いかに多くの戦功を挙げられたことに何度訪ねても感激致します。本日、展示内だけでなく、上の遺影のお一人お一人の顔を見つめていたら、「後を頼むぞ、俺達のことを決して忘れないでくれ」と言われた気がして、自然と「五省」が頭に浮かびました。

「仰ぐ先輩、予科練の~」と歌に謡われた先輩達のことを思って、これからも前を向いていきます。

また伺います。

五月二十七日海軍記念日に…。

令和五年五月

神奈川県横須賀市 長谷川様(元海自)

2023年05月01日

川崎市    田辺様

両親を想い又国、兄弟を想い全てを守る為に覚悟をなさり散っていった方々に涙がとまりません。そして、今平和で有る事を皆様に感謝申し上げます。

数年前に父が戻りました舞鶴港に娘、主人と行って参りました。父は、昭和二十六年にシベリアから戻り、舞鶴は私の原点になります。父は、アメリカが嫌いでした。

30年前に亡くなりましたが、私は娘にアメリカの高校を卒業させました。父が生きていたら何と言ったでしょうか?

アメリカのホームステイ先では、娘に大変優しくしていただきました。

戦争はいかなる場合もどちらの国の平和も壊します。現在のキナ臭い状況を憂います。

父は、アメリカよりロシアが嫌いでした。ロシア人も一人一人は良い人なのに国となるとモンスターになるそうです。

令和五年五月

神奈川県川崎市 田辺様

2023年05月01日

日野市   山口様

ここに来るのは、5回目です。

ここに一人で居ると英霊の方の崇高な雄叫びが聞こえてくるような気がします。

私のオヤジは、16歳で志願して軍隊に入りました。幼い兄弟6人を残して、軍隊に入る。

オヤジの心中と二度と会うことがないであろうオヤジを見送る祖母の心中を想うと胸が張り裂けそうです。軍隊では、消灯後、薄暗いトイレで勉強して憲兵の試験に受かり、中国に転属になりました。

憲兵の訓練は、過酷で命を亡くす人もいました。オヤジの原隊は、昭和19年10月のレイテ の戦いで全滅してしまいました。自分だけ生き残ったということ重い十字架を86歳まで背負うことになりました。終戦の5日後、オヤジは約1500名の中国共産党軍に包囲されたあと攻撃を受けました。対する日本軍は、民間人と合わせて40名位でした。中学生位の少年が、「僕が様子を見てきます。」と言って出発して行きましたが、生きて戻ることは叶いませんでした。その時、一人の若い女性が自分は最後まで包丁で戦うといいました。死に対し、一点の曇りもない潔さにオヤジは深い感銘をうけました。

戦いが終わりを迎えた頃、彼女のものと思われる地獄の底から沸き起こるような気高い雄叫びが中国の空に響き渡りました。薄れゆく意識の中で彼女は何を思ったのでしょう。敵の首にしがみついてやろうと思ったのでしょうか、それとも祖国のことでしょうか…。

令和五年五月

東京都日野市 山口様

2023年05月01日

藤沢市   鶴田様

予科練平和記念館は、四度目の来館となります。私は、現役会社員として従事していた頃、現在で言うところのセクハラ、パワハラ、男女差別、シングルマザーだったということもあり、「だから女はダメなんだ…!」と何度も言われ辛い思いをしてきました。うつ病と思われる症状にも悩まされました。そんな時、平和記念館のことを知りました。また、『人生に迷ったら知覧に行け!』という本を読みました。

戦争で命を落とした方々は生きる道の選択さえできなかった!私も私が今出来る事をしようと思いなおしました。

何度来ても特攻ブース(最後)では涙がとまりません。そのまま雄翔館でも泣いてしまいます。

令和五年五月

神奈川県藤沢市 鶴田様

2023年05月01日

石岡市   花和様

英霊の方々がこの日本の為に自身の身体を盾に戦ってくださったことに感謝してもしきれない思いです。今、日本は窮地に立っています。政府は、腐敗しており、日本人の血税は一パーセントのエリートや外資に流れて、外国のいいなりです。日本の子供達の未来を考えてくれていない。遠い空から見守ってくれている英霊の方々はどのような思いで見ているのでしょうか。申し訳ない気持ちでいっぱいです。日本国民が「何かおかしい!」と目覚めなければ、もう日本の未来はないと思います。次は、靖国神社に行って、心を清めて来たいと思います。本日は、良い時間を過ごせました。ありがとうございました。

令和五年五月

石岡市 花和様

2023年05月01日

住所不詳   濱田様

家族を守るために予科練に行った生徒もいると知って、なんだか同じ年の人とは思えないと思うくらいしっかりしていて、自分も頑張って家族に恩返しがしたいと思った。

ここから犠牲になってくれた人のお陰で、今生きていることを知り、「ありがとう」と伝えたい。

令和五年五月

住所不詳 濱田様

2023年05月01日

つくば市  鈴木様

多くの戦没者の思いの上に今の我々が存在していることを感じます。彼らは、家族のため、後孫のため、日本国の未来のために命をかけて戦ったという清々しい気持ちで今の我々を見ている。決して自らの運命を憎んではいないと信じます。そして、その思いに応える責任が自分にもあると考えます。

令和五年六月

茨城県つくば市 鈴木様

2023年05月01日

住所不詳    日野様   

色々な人の写真があって、こんなに多くの人が戦争に出ているんだと実感した。飛行機の模型がかっこよかった。

自分たちと同じくらいの年齢から戦争の訓練をして、二十歳前後の若い年齢で戦争に出ていった人が多くいることがすごいというか、信じられなかった。一人一人のことについて、とても詳しく詳細が書かれていて分かりやすかった。特攻隊の人達の親に向けての最後の手紙は、とても切なく、悲しかった。昔の人に感謝。

令和五年五月

住所不詳 日野様(中学生)

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