雄翔館のご案内

雄翔館にご来場いただいた皆様のご意見・ご感想を掲載しています。

2019年06月10日

群馬県太田市  今井 恵 様 (66才)

幼き日より耳にするのは叔父の名前。長女の第1女として生まれ、祖父が叔父が生きていたらという言葉を何度か聞き育った覚えもあります。

7年前に沖縄の叔父の名前の刻まれた石碑の前で「どのような最期だったのか教えて欲しい」と祈ってまいりました。この度、叔父の最後を知り得ることが出来、母が91才というまだ元気なうちに朗報を聞かせて頂き感謝でございました。

母の姉弟の慰霊の旅は常に感動でございました。(頑張っておりました。)

今日、慰霊祭に参加せていただきまして感無量の思いです。

また雄翔館で凛々しい予科練の大勢の遺影の前で「20代で特攻隊に、どんな思いであったのだろうか」偲んだだけで泪になりました。

どんな戦争でも、どちら側にも幸せを願う人がいて家族がいます。命を奪い合う戦争の悲惨さは繰り返してはならないし、平和な時代を子供たちと願わずには居られません。

戦争を知らない4世代で、今日の慰霊祭に参加させていただけたこと一重に感謝いたします。

一人でも多くの人に語り継いでいきたいと思います。

 

第52回予科練戦没者慰霊祭におけるご遺族代表 今井アサ子様のご長女の投稿です。

2019年06月10日

群馬県太田市  今井 アサ子 様 (91才)

第52回予科練戦没者慰霊祭に参加させて頂きまして有難うございました。

山岸家の親族36名で参加させていただくことができました。海原会の皆様のお陰様で、このような盛大な特別展を長期にわたり開催して下さいましたことに、心より感謝申し上げます。

戦後70年(平成27年8月14日)奇蹟を知らされた時、驚きの声をあげて以来4年の歳月が流れました。

改めて特別展の栄誉に唯々感謝あるのみです。

肉体は失われても、親族姉弟の中生き続ける思い出と共に、兄は生き続けていることを実感させていただきました。

一人でも多くの方々に雄翔館に足を運んで頂きたいと心から願っております。

ありがとうございました。

 

第52回予科練戦没者慰霊祭における、ご遺族代表から投稿されたものです。

2019年02月08日

茨城県牛久市中央  亀井隆太郎  (11才)

戦死したほこりたかき兵士の遺書、遺品を見ると、戦場での覚悟を感じることができました。

何千、何百万といる戦死した兵士たちの気持ちをこれからも大事にしたいです。

2019年02月03日

埼玉県戸田市氷川町  坂本おうすけ  (9才)

20代のわか者の人たちが、土うらでくんれんしてせん争に行ってせん死した人がこれだけいるんだから太へい洋せん争すごくはげしいせん争だったんだと思いました。

日本を守るためにこれだけの、わかい人たちがなくなっているということは、どれだけこの

せん争がすごくはげしいせん争なんだとかんじました。

2019年02月02日

千葉県松戸市   (氏名不詳)  (24才)

祖父の友達が予科練に入隊したが、その後すぐ終戦になり戦地へは行かなかったという話を聞き、興味を持ってここを訪ねました。〝予科練〟にいた人々の数、そして一つ一つの品物、ことばの重みに圧倒されました。

「歴史」という一言で済ませられない、生々しい感情の吐露としての手記、遺品を目にでき貴重な経験をしたと感じると同時に、いたたまんない。やるせない気分になりました。

恐らく私は大東亜戦争を経験した世代の方々と話をして、その姿を見た最後の世代となるでしょう。

その事を胸に留めておきたいと思いました。

2019年02月01日

京都    いとう ひさこ  (年齢不詳)

私自身も含め、現在に生きる我々は散華した彼らのこと、彼らが遺した言葉をきちんと

受け留められていますか。この展示での言葉を読むにつけて感じました。

「武士道というものは、死ぬことと見つけたり」など「葉隠れ」で有名なフレーズがあり

ますが、彼らの生死を感じ、思い、語る時、私たちは彼らが生きた時代背景も含めて、理解

できているのでしょうか。

冷静な整理なき感情が、彼らの散華を感情にまかせた無責任な賞賛になり「無駄死」した

と無神経な発言にさせるのだと思います。

KMIKAZEは我々が思うほど関心が高いようです。しかし、彼らと一般人である我々には

大きな空間的ギャップがあります。その空間を埋めるための一歩として、今日茨城に学びに

きました。ここで勤務されている方々も有事の際には、何かしらの使命もあるのでしょう。

戦後の無神経な(無責任な)言動を繰り返さないように、彼らのことを改めて知りたいと思いました。

 

 

2019年01月20日

埼玉県春日部市中央   関根 悠貴

若い青年達の短い一生を、予科練とともに学べた。

今の時代では考えられない文化、戦争のためはかなくちった予科練の人の気持ちなどを知れて良かった。

2019年01月17日

茨城県桜川市東桜川  井上 正次  (72才)

先月12月に妻と一緒に来ました。写真を見て思わず、涙目になりました。

今度は子供もつれてきたいと思います。

今日は団体のウォーキングで寄らせてもらいました。末永く予科練記念館が残り

戦後70年といいますが、語り繋いでいただきたいと思います。

2019年01月17日

茨城県ひたちなか市   根本 甚一  (67才)

雄翔館見学は5度目くらいです。何年かぶりに今日再度見学に来ました。

展示内容が、大きく変わっていたので新たな思いで一つ一つ読んでみました。

関係者様のご苦労に感謝致します。戦争は絶対にしてはならないという思いは、ここに來るたびに

新たに強く感じます。

20才の命が散ったうえに今日の日本の平和があることを痛感します。

海原会の皆様、ありがとうございます。

2019年01月16日

住所不詳   えんどう みゆき  (54才)

純粋な心で、国のため、家族のためと散っていかれた若人にただただ頭が下がります。

ありがとうございました。

今は、このような戦争が繰り返されぬ願うばかりです。戦争という状況になれば、同じことが

繰り返されることでしょう。

皆様の命を無駄にせぬよう、時代をしっかり見つめ平和のためにできることは行動していきたい

と思います。

2019年01月13日

茨城県下妻市   山田 康平   (22才)

初めて予練館(雄翔館)を訪れました。戦争の事は学校の授業のなかやテレビでの特集などで少し見る程しかありませんでした。人間魚雷や神風特攻隊といった言葉は認識していたものの、どのような仕組みかは具体的

には知りませんでした。周りの話などでは日本国の為に自らが犠牲になり、自国の勝利の為に戦った事は素晴らしい事とたたえられており、自分も自身に投射したら同じ行動をとれないのかと思うこともありました。

本日実際に来館し自分自身の目で見たときにどのようにして決行されたのか、機内に搭っている人の心境や、メモなどを見て多く学ぶ事がありました。

自分達と同じ年の人達が自分の意見を押すのではなく、周りの為に全うし尊重する事は自分達の世代にも必要な事だと感じました。戦争を二度と起こさない事以上に、心構えや尊う気持ちは必要だと感じました。

2019年01月12日

(住所不詳)   遠藤 ゆきえ   (41才)

せんそうのことを、まなばせてもらいました。

2019年01月10日

千葉県成田市本城  伊藤 勝好    美津子   (81才)

戦争を知っている81才の今ここに来て、涙が止まりません。いかに戦争が多くのギセイ者をもたらすのか。

若い命を・・・・・・

今現在の平和が、この若者達の思いを忘れてはならないとしみじみ思います。

戦争当時生きた人々すべての人々の苦労を思い涙したのです。

長年ここに来たかったので、ようやく来て大変良かったと思います。

 

2019年01月06日

(住所 氏名 不詳)       (22才)

予科練記念館(本館)を見学してから訪れました。歴史を知ったあとに、こちらの雄飛館(雄翔館)に来館し、遺品を見ると、知らない分からないでは済まされない責任感と悲しさで胸がいっぱいになりました。

今を生きる若人として、精一杯生きようと強く思いました。

2019年01月04日

(住所、年齢不詳)   はらだ さくら

おべんきょうになりました。

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