雄翔館のご案内

雄翔館にご来場いただいた皆様のご意見・ご感想を掲載しています。

2015年11月15日

福島県いわき市在住  西山 薫 (67才)

大変有意義な展示内容でした。亡父が戦争体験者でした。(占守島の戦い)

2015年11月07日

習志野市実籾  山川 ヨリ子 様 (74才)

若者の写真が一杯あり、終戦間際に亡くなられた事、痛ましい。

男の子(孫)がいますが絶対戦争には行かせたくない。人を殺す事や、戦争に行くことは絶対にやるべきではない。

人間を大事にし、物を大事にし、毎日笑顔でいられる世の中になって欲しい。

若者を死なせてはいけない。写真を見ていると、我が子のように思い、涙が出ます。

2015年11月07日

千葉県千葉市在住  千葉 様(64才)

わが息子が孫がと思うだけで恐ろし感情につつまれます。

この館を創設された方々の思いと本日の私の気持ちは異なるかもしれませんが。

人が人を駒のように扱う戦争はあってはなりません。

しかし、志願する若者を育てたのも教育。教育は恐ろしい。平和の声を大きく大きくしたい。

2015年11月01日

住所氏名不詳 

今が平和でよかったと、つくづく思いました。ありがとうございました。

「平和」は努力によって守られていると気づかされました。

当時の教育に驚きます。教育って大切ですね。

豫科練記念館これからも続けてもらいたいです。がんばってください。

2015年10月10日

札幌市中央区在住  山本 陽之 様(年齢不明) 

まだ若い人々が自分の意志ではなく、国の意志で死ななければいけない、というのは、とても残酷だと思った。

2015年10月07日

住所年齢不詳  清水 様

皆若い人達で国を思うとは言え、死んで行くことに無念はなかったのでしょうか。

この頃戦争の話題が聞かれますが、平和のために死んだ人の事を思うと涙になります。

この平和はいつまでも続くよう、一人一人の努力が必要と思われます。

2015年10月07日

千葉県印旛郡在住  杉山 隆彦 様(40才)

若い兵士が国の為に尊い命を投げ出す。それが本当に痛々しい。生きていれば幾らでも楽しい事がある。

それなのに家族、友人、恋人を残して祖国に殉ずる。若い彼らの無限の愛国心に感動した。日本人とは戦時中ここまで国を愛していたのか。

この淋しい土地でほとんど娯楽の無い生活を数年過ごし、死地へ旅立っていった若者達。

幼い頃から憧れた大空への飛翔が死への旅立ち。余りにも切なく、そして崇高な旅立ち。

遺影を拝見すると兵士たちの瞳は澄んでいる。恐らく予科練の頃から死を覚悟していたのでは。

あの厳しい修練を収めて祖国のために殉ずる。十代の頃からそう覚悟していた戦前の若者達の荘厳な生と死。

彼らがそこまで守りたかったこの国を発展させる。

それが日々の慰霊と思う。

2015年10月03日

栃木県真岡市在住  篠崎 充弘 様(37才)

今の日本は平和か、と問われれば否定の意はない。

しかし、それは若くして散華された方々の流した尊い血のお蔭。ただ失礼承知で申し上げるならば、親よりも早く先立つ事は決して親孝行ではない。しかし、そのような私の考え方を、遺書や遺品の数々は払拭した。

「空に憧れて」の豫科練の「志望動機」がやがて愛国のための「死亡動機」に変わってゆくことも、入隊を果たした時から覚悟されていたと思われるし、誇りでもあった筈。

英霊たちが残していったものから、哀しげは感じられない。むしろ当時本人たちが胸に抱いていたであろう「決意」のような、熱い思いが伝わる。

ご遺族の方が手紙にしたためておられたように、「神風を」を紙よりも薄く、喜劇よりも面白半分に認識している人は、一度この雄翔館や平和記念館を訪れてみるべきである。

神風攻撃隊は散っていったのではない。夢見た空へ羽搏いていったのだ。

私が来館した日、まだ蝉が鳴いている雄翔館にて、おそらく英霊たちが眠り見守っている中家族連れが仲良く歩いていた。これが日本の平和な光景なのだな、微笑ましく思った。

2015年07月07日

住所氏名不詳

老人有料介護をしている者です。

今日は七名の利用者さんを連れてきました。

私は昭和21年生まれで、ここに初めて来て、涙が出そうでした。若い方が随分亡くなられ、本当に大変な戦争は、もう起こしてはいけない、と思います。

2015年04月24日

横浜市港南区 福島 様 (48才)

私が見学させていただいた日は、ちょうど陸上自衛隊の新隊員の方々の研修と重なったようで、私も傍らで訓示を拝聴させていただきました。またとない機会を得られて、誠に幸いであったと存じます。隊員の方たちのお邪魔になっては申し訳ないので、早々に切り上げさせていただきましたが、英霊のご遺品の数々には心を打たれました。展示方法のご苦労などが伝わって参りましたが、やはり施設の老朽化が気になります。当方ご縁がありまして、東京原宿の東郷神社に、しばしばお邪魔する機会があったのですが、貴施設の事は最近まで存じ上げませんで、新宿の平和祈念展示資料館にあったパンフレットで知りました。もう少し、宣伝を強化され、また幾らかの入館料を徴収しても良いのではないかと思いました。これからも、国の為に命を捧げられた若き英霊の御心を、いつまでも伝えて行って戴きたいと思います。

2015年04月12日

ブラジリア・ブラジル 前添 様 (77才)

この度私は遠くブラジルの地からまいりました。私も幼い頃まだ小学一年生の頃戦争を知っております。その頃東京池袋に住んで居りました。多くの遺書、遺品を拝見しまして、幼いながらも戦争の悲惨さを覚えて居ります。戦争のない現在の日本、この平和が長く続きます様心から願っております。

2015年04月11日

我孫子市栄 ふるいち 様 

戦後、GHQによって「太平洋戦争」と教えられてきました。しかし、英霊たちは「大東亜共栄圏」を目指し、「大東亜戦争」を命をかけて戦い散っていかれました。彼らに「太平洋戦争」と言ってもきっと何のことかわからず自分たちの散った戦争にまた戦争があったのか?と不思議に思われるのではないでしょうか?小さな事ではありますが、太平洋戦争という間違った呼称を改め、大東亜戦争と呼びましょう。彼らが戦ったのは間違いなく大東亜戦争です。太平洋戦争という言葉は英霊たちは知りません。命を掛けて散っていかれた英霊に対して失礼にあたるのではないでしょうか?すみません。

2015年04月09日

稲敷郡阿見町 笠間 様 (53才)

戦後七十年の月日が流れ、若者達の多大なる犠牲の元に、今の日本が存在する事を決して忘れてはならない。感謝いたします。

2015年04月04日

土浦市  狩野 様 (34才)

ただただ頭が下がる思いです。今の私たちが何不自由なく生活していけるのは、この方々のおかげだと思っています。18才や25才、まだまだこれからの人生の方が多いのに・・・・・。戦死、ご本人、ご家族の方の気持ちを思うと胸が張り裂けそうです。今日は息子と二人と見学に来ました。これから、この真事実を伝えていきたいと思います。いつかは靖国神社にも、参拝したいと思っております。

(平成27年4月4日 投稿)

2015年04月01日

常総市水海道  女性・氏名不明 (50才)

若き優秀な多くの人達の犠牲の上に現在の日本の平和がある事を深く受けとめます。

これからの日本を考える良い機会となりました。貴重な写真やお手紙を拝見できてとても有意義です。

(平成27年4月1日 投稿)

2015年03月31日

住所・氏名不明 (61才)

阿見に越して来て20年になり、広報でこの記念館は知っていました。先日九州旅行で、知覧平和記念館を見学して、若い子達が戦争で命を失ったことにかわいそうで胸がしめつけられるようでした。

そして近くにありながら見学したことのなかったこの会館に来てみようと思っていました。ここ(土浦)はひっそりとしていますが、知覧は観光地となっていて、この記念館も、もっと関東近辺の方々に来て頂ける様にアピールをしたらいいと思いました。何より御国の為に散った若い命の上に今の日本の平和がある事を若い世代に感じて欲しいと、せつに思いました。      (平成27年3月31日 投稿)

2015年03月12日

茨城県牛久市  矢野様(60才)

戦後70年今の日本は「お国の為、男子の本懐」と言って亡くなって行かれた方にとって、良かったと思ってもらえる日本なのだろうか?と考えさせられます。

死んでいく時に「笑ってお父さんお母さんと・・・叫んで死んでいった」お気持ちを思うと、涙が止まりませんでした。他国では、いまだに爆弾が落とされ、お年寄りや女子供の人が、何も避けることも出来ずに死んでいっとています。何故戦後七十年経っているのに、こんな無意味で非道な事が続くのでしょう。戦争を経験した父によく「感謝と思いやりを」「兄弟姉妹仲良く」「ご先祖様あっての自分」とよく言われたものですが。

健康で、働けて、家族と一緒にご飯を安心して食べられる事を感謝しなくてはと、つくづく思い返させて頂きました。本当にありがとございました。   (平成27年3月12日 投稿)

2015年03月05日

三鷹市  西野様(46才)

今日の繁栄は、このような先人の皆様のおかげと改めて思いました。

今の幸せをかみしめて、又昔の戦争を思いながら二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならないと感じた次第です。                              (平成27年3月5日)

2015年03月01日

土浦市常名  島田様(65才)

平成二十年に来館してから、月日がたち立派な記念館もでき、戦後世界の情勢にうれうを感じていた私は、又、映画永遠の0を見て本を読み、新たに心に期するものがわきあがり、国の為に若い命を散らしていった、方々のご冥福をお祈りしたく、また、このような戦争を起こしてはならないと平和への気持ちが強く願うものです。

近くに住んでいながら、その時代をしのび、厳しい訓練の中にも少しは少年らしい語らいがあったことを!土浦で、少しでも故郷への想いをしのぶことができたのでしたら、ほんの少しホッとしている今日の私です。

(平成27年3月1日 投稿)

2015年02月21日

新潟市北区  竹内 様(60才)

 今日ここに来られ、大変有意義だったと思っています。時間を充分とり、ゆっくり拝見いたしました。感動しております。

 今日は妻も一緒ですが私より妻の方が深く感動している様です。

歴史の一ページとして片付けることなく、私達が平和というものが、どういう土台の上に建っているのかを良く考えるべきだと思っています。

 病気には予防がある様に、何かの時に備えは必要あると思いますが、使用せず平和が守れるなら、それが一番であることは間違いありません。

”温故知新”何があったのかを正しく考え、今を生き、子供に伝えていくことが大切と思います。

2015年01月18日

立川市上砂町 則俊 様 (12才)

戦争というのは、とてもおそろしい事だとあらためて思います。はじめて特攻隊になったにもかかわらず、敵についとつして死んでしまうなんてとてもじゃないけど、私はやっていけません。みんなこんなにも若くして死んでしまうと言う事はもうない時代になったけれど、その戦争で亡くなった人たちの苦しみは決して忘れません。このことを忘れずに今後の日本がもっと良い国になるようにと私は願っています。

2015年01月17日

坂東市 中山 様 (55才)

以前知覧へ行きましたが、こんな身近でこの様な資料館があったとは思いもよりませんでした。「反戦」と口では言いますが、過去の歴史を直視し、尊い犠牲の上に今日がある事を忘れてはいけないと思いました。

2015年01月13日

伊丹市瑞穂町  冨田 様 (51才)

 定年をあと3年にひかえて、31年前大津前期教育で同期といっしょに歌っていた(若鷲の歌・空の神兵)ことを想い起させてくれました。

今は亡き父(S2年生まれ)と同世代の人が親にたいしてどう思っていたのかということがわかり感激しました。私の父は大変親孝行でした。

 最後に貴重な銃等私のわがままで見学させていただいた武器学校の広報班の方ありがとうございました。大変感動いたしました。

陸上自衛隊中部方面通信隊

2015年01月10日

住所 氏名 年齢   不明

当館に初めて来ましたが、立派な記念館で、説明して下さる方もわかり易く、平和ボケしている現代人に、もっと来館してもらうようにアピールをしていって下さい。現代がいかに幸せかを改めて感じました。

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