雄翔館のご案内

雄翔館にご来場いただいた皆様のご意見・ご感想を掲載しています。

2017年12月19日

東京都武蔵野市   三國 せり   (37才)

戦争はおそろしいと思いました。

2017年10月04日

笛吹市春日居町 在住 岩間 靖 (72才)

朝8時一宮御坂インターに乗り、一路常磐自動車道桜土浦に向かって走り、11時頃着。

目に飛び込んできたのが、日本海軍が誇るゼロ戦。また予科練生の遺書、遺品等々拝見させて頂き、涙がとめどなく流れて来てしまい、どうすることも出来ませんでした。

予に象がついて、豫となっている事も初めて知りました。

※公益財団法人海原会理事長 堺周一様へ4口2000円也(少々ですが)

書きたいことは、山ほど有りますがこの辺で失礼致します。乱文乱筆御判読下さると嬉しく思います。

2017年08月19日

住所 氏名 年齢不詳

今日の日本の平和の礎となって散って逝った若人の名誉ある死を改めて心に留めます。

二度とこう云う事をしてはなりません。させてはいけません。

それにしても、昔の20歳前後の若者は、しっかりした大人ですね。

本当に優秀な未来ある方々の命が、あまりにも軽く扱われたことが、腹立たしくて仕方がありません。                                  合掌

2017年08月19日

福岡県筑前町  山本 寛 (61才)

筑前町立太刀洗平和記念館館長

先日は、福岡県の太刀洗平和記念館の企画展「少年飛行兵と予科練生」にご協力戴き有り難う御座いました。館内見学致しました。これからも資料の展示、保管、調査大変かと存じますが、後世に伝えて行く為にも、宜しくお願い致します。

2017年08月15日

茨城県石岡市 在住  島田 崇 (43才)

ここ数年間、日本の近代史を何冊も読みました。

私は小学生くらいから「日本は悪い国だったから、これ位の事されてもしょうがない」と教えられてきました。

・・・・が果たしてどうだったのでしょう。

私が読んだ本の全てに「悪い国だった」の記述はありませんでした。私の知っている当時の日本は「列強」と呼ばれた国の都合で、作られたものだと知りました。

戦争当時の日本は武士道の精神に溢れ、魂が燃えたぎっていました。日本を守ると云う事は家族や友人を守る事とイコールでした。現在日本人は「日本の魂」を刮目(かつもく)すべきだと思います。

2017年08月15日

松戸市小金原 在住 宮嵜 満夫 (83才)

終戦(72年)の日には、当記念館と予科練の碑に、毎年参拝に来ております。今年も展示内容を更新、後世に伝え継ぐ管理に努力されておられることに深く感謝、御礼申し上げます。

何時も最後は、大西中将の遺書を読み直し、胸に納めて帰らせて貰います。

今年も、終戦の翌日に亡くなられた「手結事故」には、やり切れない悲しみで帰ります。

合掌

2017年08月13日

三重県松阪市 在住 大平 六穂 (13才) 

私は、13才ですが、19、20才と私と年令が近い人も多く痛々しいばかりです。

最近は、テロ、北朝鮮などと言いますが彼らの死を無駄にして欲しくありません。彼らの死から教わったことをさっきも書きましたが、無駄にせず、何時までも繋げて行けたらと思います。手紙の最後の「さようなら」で泣きそうになりました。

2017年08月12日

墨田区横綱町 在住 牧 繁実 (42才)

家内と四歳になる娘と三人で拝観いたしました。

皆、若くして国のために命をかけて戦い、その上で今の我々の平和な日々がある事を強く感じました。

ただただ、尊崇の念を改(あらたに)に致しました。

散華された戦士の方々の御霊安らかをお祈り致します。

2017年07月25日

小山市神鳥谷 在住  斉藤 ミヨ子 (73才)

若くして命をおとされ、さぞ無念だった事でしょう。

涙がでます。ご冥福をお祈り致します。二度とこのような事があっては、ならないと思います。

昭和十九年戦争の真っただ中で生まれました。平和がいつまでも、続くことを祈ってやみません。

2017年07月16日

茨城県 在住  西田 汐里 (17才)

今回初めて予科練記念館を拝見させて頂き、非常に感銘を受けると共に、複雑な思いもありました。自分と同じ年くらいの男子が国の為、戦死したということは、勇ましくも、本当に悲しい事と思います。記念館で遺品を見ると、どの方も非常に真面目で、勉強熱心、活気に溢れておりながらも家族や友人への思いやりがる素晴らしい方々でした。

そんな若くして希望に溢れた将来有望な方々が、戦争で亡くなってしまうのは、非常に残念に思います。然し彼らは戦に行く為に努力を重ねに重ねて、訓練してきたのであって、彼らにとって死は本望であったのではないかと思います。

男の中の男ですね。彼らの命が決して無駄にならないよう、忘れてはいけない事として語り継がれていくべきだと強く感じました。

2017年07月15日

荒川区東尾久 在住  保坂 弘子 (52才)

厚労省の語り部育成事業の第一期受講生です。論文提出のために訪問しました。

戦争を繰り返さないことを前提として、真剣に拝見させて戴き、今後の自分の活動に役立てていきます。

また、訪れることもあると思います。

2017年06月25日

印旛郡栄町竜角寺台 在住  渡邊 善次郎

当時、国に殉じた若者が居たからこそ今の日本があり、そして平和が保たれている。

心から手を合わせるものである。

2017年06月10日

土浦市乙戸南在住  土田 時也 (15才)

今から72年前に日本のためと多くの人々が戦いで亡くなっていき、そして今の日本になった。

当時彼らが何を思って戦いに行き、何を思って亡くなったか、今の自分にはまだわかりません。

ただ彼等のお蔭で今の日本があると私は信じています。今日記念館を見学し彼等の遺書・遺品の数々を目にして、彼等もまた一人の軍人であり一人の人間だったということを実感し、何を思っていたのか少しはわかったと思います。

大空に夢を持ち、毎日の訓練の先には神風しかなかった。最後に彼らは何を思って亡くなったのか、友人・家の人・自分の好きな子か、様々だったと思いますが、とても悔しい気持ちだったと思います。

日本はこれから先どのような道をたどるのか誰にも分かりませんが戦争にならないように言葉で話し合って欲しいのです。あの時のように、多くの人が大切な命を落とさないように小さな立場ながら願っています。

今日は記念館に行って本当に良かったと思います。

2017年06月10日

住所不明  中島 由淳 (15才)

自分は予科練記念館を何度も見て思ったことがたくさんあります。

一つ目は練習生の思いや生活です。厳しい訓練を経て、見事パイロットになれた思いはとても嬉しかったと思います。二つ目は家族への手紙です。練習生は手紙を親に送って生活や出来事を書いていました。それを見たとき今の若い人とは違って大人だなと思いました。

しかし戦局が厳しい中、特攻で親に人生最後の手紙を送るのはとても難しく、悲しく、せつなかったと自分はそう思いました。

親も自分の子供が最後に書いた手紙を見るのも辛かったと思います。このことから平和に今を生きていられるのも戦争で亡くなった人たちのお蔭であり、その重さを噛みしめて生きていきたいです。

2017年06月05日

千葉市中央区浜町 鶴岡 千絵 (39才)

とても辛かったです。

当たり前のように生活していますが、国のために命を懸けて戦ってくれた方々のことは忘れてはいけないと思いました。そして戦争は二度とあってはいけない。

2017年05月07日

練馬区春日町在住 長谷川 隆 (86才) 長谷川 久子 (83才)

大変感激いたしました。

当時の青年の方々の思いを知ることができて良かったです。ご冥福をお祈りいたします。

2017年05月02日

銚子市春日町  諸岡 和代 (75才)

若き青年たちが多くの人のため、お国のために尽くされ心より感謝しています。

いまの平和も多くの人の犠牲の上に成り立っているということに気づきました。、これからも戦争は決してあってはならないと思います。昭和二十年、私は4才でした。親からいろいろ教えてもらってはいましたが、今日全てを知ることができたことをありがたく思います。

本当に本日はありがとうございました。

2017年04月27日

群馬県多野郡神流町魚尾 斉藤 今朝雄 (61才)

人間はいつかは亡くなる運命ですが、余りに若い命の消滅は残念です。

中には映画俳優の如くの若者がいらっしゃる。皆様の魂の表情に日本人らしさを教わった。

私の父は横須賀で兵役についていました。

2017年03月23日

埼玉県吉川市高富  江森 一雄 (48才)

今の平和は戦争で亡くなった方々の命の上に成り立っていると感じました。

涙がでます。

2017年03月01日

埼玉県北本市本町  阿部 憲一 (55才)

予科練が遺したものを見、考え、心が引き締まる思いです。今自分に与えられた仕事を責任感・使命感を持ちしっかりやっていこうと覚悟を新たにしました。決して皆様が行ったことを無駄にしない生き方をしたいと思います。

2017年02月19日

さいたま市西区  上野 公章 (66才)

ツーリングで何度も来ています。

ここに來るたびに鳥肌と涙が出てきます。

2017年02月01日

柏市西原  和歌山県出身の主婦

四歳と二歳の子供を育てていますが、しかし戦争で命を落とすために大切な我が子を戦地へ向かわしたく有りません。戦争のない「対話で解決できる世界を」と望みます。

ページトップへ