お知らせ
2024年01月17日
荒鷲考案の闘球(ラグビー)ユニフォーム展示中(小さな展示室)
日本ラグビーは、1899年(明治32年)に英国人教師が慶應義塾(現慶應大学)の学生に伝えたのがルーツとされています。ラグビーは、日本海軍で陸上、体操、相撲などと並ぶ訓練科目の一つで、海軍兵学校や機関学校で盛んにおこなわれていました。 1942年(昭和17年)、土浦海軍航空隊の教官がラグビーのルールを修正して、予科練独特である「闘球」が考案されました。「闘球」は、ボールを運ぶ相手側の選手を〝爆撃機〟、護衛する味方の選手を〝迎え撃つ戦闘機〟に見立てて、実際の戦闘を模してプレーしていました。戦火の中で形を変え、そして戦後には消えていった「幻のラグビー」です。
小さな展示室では、当時予科練生が使用したユニフォームを展示中です。