海原会について

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2022年09月25日

パールハーバーに国歌(君が代)が流れた

2016年12月8日 開戦75年の時を経て、初めて日本国歌「君が代」が真珠湾の静かな入り江に流れた。

 

この日、日本国ハワイ総領事及びアメリカ海軍共催の日米合同の追悼式が、アリゾナメモリアルが目の前に見渡せる、フォード島の一角で開催された。 

日本国(ハワイ総領事)が主催して真珠湾で行われた初めての追悼式だ。日本、アメリカ共に報道陣をシャットアウトし、参加者を関係者のみに限定しての追悼式だ。真珠湾での初めての合同追悼式ということで、日米ともに、かなり気を使っていた様子が伺えた。

真珠湾では日本海軍航空兵等65人が戦死し、そのうち25人は予科練出身の航空兵たちだ。

 

海原会からは、菅野前理事長、平野理事、脇田参与(甲飛13期生)の3名が出席した。

菅野前理事長は、1991年からハワイにおいて日米両国戦没者の追悼を続けていた。

たまたま、日蓮宗ハワイ別院を訪問した際、当時海原会会長であった前田武氏(甲飛3期生・真珠湾攻撃時は空母加賀乗り組み、97艦上攻撃機の通信員として参戦)と会い、それがご縁で海原会に入会され、本年6月まで5年間海原会理事長をお努めいただいた。

 

そして、その日から三週間が過ぎた2016年12月28日(現地時間27日)

ついに歴史的なその日が訪れた。

 安倍晋三日本国内閣総理大臣による、アリゾナメモリアルの慰霊訪問と、追悼式でのスピーチが実現したのだ。そして、もちろんその歴史的な場所に、外務省からの要請を受けて菅野前理事長も立ち会っていた。

今になって考えてみると、私が出席した初めての合同追悼式は、安倍総理訪問のため日米世論の感触を伺い、その環境を整備するためのものであったのではないかと、つい勘ぐってしまいそうになるが、そんなことはどうでもよく、実行されたことが大切なことなのだ。

菅野前理事長が事あるごとに口にしていた「慰霊なくして相互の理解と、真の平和は生まれない。」がまさに実現したような歴史的出来事であった。

 

菅野前理事長が初めて慰霊のためにハワイを訪問した1991年頃は、表面上は日米友好の雰囲気が漂ってはいたが、特にアメリカの退役軍人の間では、まだ険悪な空気があったとお聞きしている。

しかし、海原会前田会長と戦艦ウエスト ヴァージニアの生存退役軍人(フィスク氏、戦艦ウエスト ヴァージニアの元喇叭手)の間で和解が進むと、周囲の雰囲気も変わり、日米和解が一気に進んでいくのを肌で感じたと菅野前理事長は言っている。

まさに「お互いを認め合い許し合う、寛容と和解の力」である

あの日から、6年の時が流れた

そして、今も変わらず毎年12月になるとハワイ真珠湾で追悼式が行われ、日本からは変わることなく菅野前理事長が参加している。

しかし、もうそこに安倍晋三氏はいない。

今日本国内では、安倍氏の葬儀を「国葬」にするかしないかで国内を二分する議論になっている。

でも、そんな事はどちらでもいい。「国葬」だろが「家族葬」であろうが、日本国民を代表して真珠湾に赴き、戦没者の御霊に「一緒に日本に帰りましょう」と語りかけてくれたのは、戦後33人の総理大臣がいた中で、第97代内閣総理大臣安倍晋三氏その人であったことは、ゆるぎない事実である。

私は、ただそれだけで十分満足であり、心から感謝している。

 

波静かな真珠湾に流れる日本国歌「君が代」が、6年経った今も昨日の出来事のように、私の心に甦ってくる。

 

      安倍晋三氏の御霊安らかなれと 

               お祈り申し上げます。

                            公益財団法人海原会 

                             理事 平野 陽一郎

                                  

 

追悼式典での安倍元総理のスピーチ (映像提供: 菅野寛也前海原会理事長)

 

追悼式典会場

追悼式典会場

国歌演奏

国歌演奏

国歌演奏

国歌演奏

霊璽簿

霊璽簿

霊璽簿

霊璽簿

読経

読経

菅野前理事長

菅野前理事長

日米友好の碑

日米友好の碑

コンベンションセンターでの会食

コンベンションセンターでの会食

冊子(菅野元理事長編纂)

冊子(菅野元理事長編纂)

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