雄翔館のご案内

雄翔館にご来場いただいた皆様のご意見・ご感想を掲載しています。

2017年10月04日

笛吹市春日居町 在住 岩間 靖 (72才)

朝8時一宮御坂インターに乗り、一路常磐自動車道桜土浦に向かって走り、11時頃着。

目に飛び込んできたのが、日本海軍が誇るゼロ戦。また予科練生の遺書、遺品等々拝見させて頂き、涙がとめどなく流れて来てしまい、どうすることも出来ませんでした。

予に象がついて、豫となっている事も初めて知りました。

※公益財団法人海原会理事長 堺周一様へ4口2000円也(少々ですが)

書きたいことは、山ほど有りますがこの辺で失礼致します。乱文乱筆御判読下さると嬉しく思います。

2017年08月19日

住所 氏名 年齢不詳

今日の日本の平和の礎となって散って逝った若人の名誉ある死を改めて心に留めます。

二度とこう云う事をしてはなりません。させてはいけません。

それにしても、昔の20歳前後の若者は、しっかりした大人ですね。

本当に優秀な未来ある方々の命が、あまりにも軽く扱われたことが、腹立たしくて仕方がありません。                                  合掌

2017年08月19日

福岡県筑前町  山本 寛 (61才)

筑前町立太刀洗平和記念館館長

先日は、福岡県の太刀洗平和記念館の企画展「少年飛行兵と予科練生」にご協力戴き有り難う御座いました。館内見学致しました。これからも資料の展示、保管、調査大変かと存じますが、後世に伝えて行く為にも、宜しくお願い致します。

2017年08月15日

茨城県石岡市 在住  島田 崇 (43才)

ここ数年間、日本の近代史を何冊も読みました。

私は小学生くらいから「日本は悪い国だったから、これ位の事されてもしょうがない」と教えられてきました。

・・・・が果たしてどうだったのでしょう。

私が読んだ本の全てに「悪い国だった」の記述はありませんでした。私の知っている当時の日本は「列強」と呼ばれた国の都合で、作られたものだと知りました。

戦争当時の日本は武士道の精神に溢れ、魂が燃えたぎっていました。日本を守ると云う事は家族や友人を守る事とイコールでした。現在日本人は「日本の魂」を刮目(かつもく)すべきだと思います。

2017年08月15日

松戸市小金原 在住 宮嵜 満夫 (83才)

終戦(72年)の日には、当記念館と予科練の碑に、毎年参拝に来ております。今年も展示内容を更新、後世に伝え継ぐ管理に努力されておられることに深く感謝、御礼申し上げます。

何時も最後は、大西中将の遺書を読み直し、胸に納めて帰らせて貰います。

今年も、終戦の翌日に亡くなられた「手結事故」には、やり切れない悲しみで帰ります。

合掌

2017年08月13日

三重県松阪市 在住 大平 六穂 (13才) 

私は、13才ですが、19、20才と私と年令が近い人も多く痛々しいばかりです。

最近は、テロ、北朝鮮などと言いますが彼らの死を無駄にして欲しくありません。彼らの死から教わったことをさっきも書きましたが、無駄にせず、何時までも繋げて行けたらと思います。手紙の最後の「さようなら」で泣きそうになりました。

2017年08月12日

墨田区横綱町 在住 牧 繁実 (42才)

家内と四歳になる娘と三人で拝観いたしました。

皆、若くして国のために命をかけて戦い、その上で今の我々の平和な日々がある事を強く感じました。

ただただ、尊崇の念を改(あらたに)に致しました。

散華された戦士の方々の御霊安らかをお祈り致します。

2017年07月25日

小山市神鳥谷 在住  斉藤 ミヨ子 (73才)

若くして命をおとされ、さぞ無念だった事でしょう。

涙がでます。ご冥福をお祈り致します。二度とこのような事があっては、ならないと思います。

昭和十九年戦争の真っただ中で生まれました。平和がいつまでも、続くことを祈ってやみません。

2017年07月16日

茨城県 在住  西田 汐里 (17才)

今回初めて予科練記念館を拝見させて頂き、非常に感銘を受けると共に、複雑な思いもありました。自分と同じ年くらいの男子が国の為、戦死したということは、勇ましくも、本当に悲しい事と思います。記念館で遺品を見ると、どの方も非常に真面目で、勉強熱心、活気に溢れておりながらも家族や友人への思いやりがる素晴らしい方々でした。

そんな若くして希望に溢れた将来有望な方々が、戦争で亡くなってしまうのは、非常に残念に思います。然し彼らは戦に行く為に努力を重ねに重ねて、訓練してきたのであって、彼らにとって死は本望であったのではないかと思います。

男の中の男ですね。彼らの命が決して無駄にならないよう、忘れてはいけない事として語り継がれていくべきだと強く感じました。

2017年07月15日

荒川区東尾久 在住  保坂 弘子 (52才)

厚労省の語り部育成事業の第一期受講生です。論文提出のために訪問しました。

戦争を繰り返さないことを前提として、真剣に拝見させて戴き、今後の自分の活動に役立てていきます。

また、訪れることもあると思います。

2017年06月25日

印旛郡栄町竜角寺台 在住  渡邊 善次郎

 当時、国に殉じた若者が居たからこそ今の日本があり、そして平和が保たれている。

心から手を合わせるものである。

2017年06月10日

土浦市乙戸南在住  土田 時也 (15才)

今から72年前に日本のためと多くの人々が戦いで亡くなっていき、そして今の日本になった。

当時彼らが何を思って戦いに行き、何を思って亡くなったか、今の自分にはまだわかりません。

ただ彼等のお蔭で今の日本があると私は信じています。今日記念館を見学し彼等の遺書・遺品の数々を目にして、彼等もまた一人の軍人であり一人の人間だったということを実感し、何を思っていたのか少しはわかったと思います。

大空に夢を持ち、毎日の訓練の先には神風しかなかった。最後に彼らは何を思って亡くなったのか、友人・家の人・自分の好きな子か、様々だったと思いますが、とても悔しい気持ちだったと思います。

日本はこれから先どのような道をたどるのか誰にも分かりませんが戦争にならないように言葉で話し合って欲しいのです。あの時のように、多くの人が大切な命を落とさないように小さな立場ながら願っています。

今日は記念館に行って本当に良かったと思います。

2017年06月10日

住所不明  中島 由淳 (15才)

自分は予科練記念館を何度も見て思ったことがたくさんあります。

一つ目は練習生の思いや生活です。厳しい訓練を経て、見事パイロットになれた思いはとても嬉しかったと思います。二つ目は家族への手紙です。練習生は手紙を親に送って生活や出来事を書いていました。それを見たとき今の若い人とは違って大人だなと思いました。

しかし戦局が厳しい中、特攻で親に人生最後の手紙を送るのはとても難しく、悲しく、せつなかったと自分はそう思いました。

親も自分の子供が最後に書いた手紙を見るのも辛かったと思います。このことから平和に今を生きていられるのも戦争で亡くなった人たちのお蔭であり、その重さを噛みしめて生きていきたいです。

 

2017年06月05日

千葉市中央区浜町 鶴岡 千絵 (39才)

とても辛かったです。

当たり前のように生活していますが、国のために命を懸けて戦ってくれた方々のことは忘れてはいけないと思いました。そして戦争は二度とあってはいけない。

2017年05月07日

練馬区春日町在住 長谷川 隆 (86才) 長谷川 久子 (83才)

大変感激いたしました。

当時の青年の方々の思いを知ることができて良かったです。ご冥福をお祈りいたします。

2017年05月02日

銚子市春日町  諸岡 和代 (75才)

若き青年たちが多くの人のため、お国のために尽くされ心より感謝しています。

いまの平和も多くの人の犠牲の上に成り立っているということに気づきました。、これからも戦争は決してあってはならないと思います。昭和二十年、私は4才でした。親からいろいろ教えてもらってはいましたが、今日全てを知ることができたことをありがたく思います。

本当に本日はありがとうございました。

2017年04月27日

群馬県多野郡神流町魚尾 斉藤 今朝雄 (61才)

人間はいつかは亡くなる運命ですが、余りに若い命の消滅は残念です。

中には映画俳優の如くの若者がいらっしゃる。皆様の魂の表情に日本人らしさを教わった。

私の父は横須賀で兵役についていました。

2017年03月23日

埼玉県吉川市高富  江森 一雄 (48才)

今の平和は戦争で亡くなった方々の命の上に成り立っていると感じました。

涙がでます。

2017年03月01日

埼玉県北本市本町  阿部 憲一 (55才)

予科練が遺したものを見、考え、心が引き締まる思いです。今自分に与えられた仕事を責任感・使命感を持ちしっかりやっていこうと覚悟を新たにしました。決して皆様が行ったことを無駄にしない生き方をしたいと思います。

2017年02月19日

さいたま市西区  上野 公章 (66才)

ツーリングで何度も来ています。

ここに來るたびに鳥肌と涙が出てきます。

2017年02月01日

柏市西原  和歌山県出身の主婦

四歳と二歳の子供を育てていますが、しかし戦争で命を落とすために大切な我が子を戦地へ向かわしたく有りません。戦争のない「対話で解決できる世界を」と望みます。

2016年08月17日

さいたま市中央区在住  茂木 テツ子 様 (70才)

唯涙、涙が流れます。

今ある日本の平和が、戦死された皆様方のお蔭と感謝するのみです。若い将来のある皆様方が国のためと言うことで亡くなられた時代とはいえ残念でなりません。

どうぞ安らかにと思うのみです。

本当にありがとうございました。心から感謝致します。

2016年08月17日

つくば市横場在住 田中 博子 様(70才)

戦争はいけないということを、家庭、学校、社会等で教育として教えていかなければ、世界平和につながらないと思います。本館を見学させていただきました事私の人生の一ページに残りました。

皆様方に深く御礼を申し上げます。

2016年08月17日

銚子市春日町在住  梅田 圭子 様 (68才)

ここに訪れたのは二度目です。息子が二人おりますが、当時の若者の精神性の高さ、教養、親、子を思う気持ちが深く伝わってきております。

戦争はいかなることがあっても避けねばならぬものと痛感させられました。

ありがとうございました。

2016年08月17日

茨城県阿見町在住  白井 喜代子 様(79才)

先日四季の中で一番美しい桜の季節に一番美しい心を持ち日本国のために尊い命を散らしていったお一人お一人の遺品、遺書、遺影など雄翔館で見学させていただきました。

神風特別攻撃隊の見送り又、吉永、川端、薮田、黒野様のあの澄み切った笑顔、国を背負ってただひたすらに日本国を思って散っていったあの若者達・・・。

涙溢れいつもいつも最後まで見ることが出来ません。ただ、ありがたく、ただありがたく、ただありがたく、ただありがたく、ただ今自分がこうして生きている事をもう一度、しっかり人のために尽くすことを、もう一度、もう一度自分が生まれてきた意味、生きている自分を支え守って天国に旅立ったお一人お一人の方々に、死ぬまで感謝し、ありがとうございましたを言い続けて参りたいと思っております。

五月には、必ず参拝させていただきたいと思っております。

2016年08月17日

住所不明 今村 洋一郎 (60才)

二度と戦争を起こさぬ国にしなければなりません。

若者を戦場に送る国になってはなりません。家族が亡くなる悲しみをおこしてはなりません。

国民主権をおかしてはなりません。

2016年08月17日

住所 氏名 年齢 不詳

先人の方の犠牲から今の日本が存在していることに感謝です。

国益対国益の争いから戦争が始まる。どうしようもないことかもしれませんが、このような日本を守るために、命をかけた方々魂は受け継がねば。

優しさ思いやりの方々のおかげで今の私達が存在している。ただただ感謝しています。

本気で日本がこの世界でどう生きていくか、真剣に考える若者を育成していきたいと覚悟させてもらいました。

本当に有り難うございます。

この大切な遺品をいつまでも大切にして日本人の素晴らしさを発信し続けて下さい。

2016年08月17日

八千代市高津在住  久保野 由起子 様 (46才)

二度と、二度と戦争は、起きてはならないと思います。

そして、犠牲になった方々のおかげで今が平和で過ごさせて頂いているのだと思います。

今、北朝鮮がミサイルを何回も発射しているので心配しています。

息子がいるので、毎日心配です。

2016年08月17日

成田市桜田在住  小久保せつ子 様 (83才)

入口に入った時点にて胸のつまる思いがいたしました。

2016年08月17日

住所不明  舘野 直人 様(34才)

祖父が豫科練出身と聞き、参りました。

祖父は昨年亡くなりました。どのような人生を歩んできたのかを、少しでも知りたく来ました。

自宅にも、ここにあるような戦争に関する資料が多くあり、それらを見るきっかけがなかったのですが、これを機に見てみようと思います。うまく表せませんが、心揺さぶらました。

ありがとうございました。

2016年08月17日

千葉県若葉区在住  星野 剛啓 様 (35才)

初めて来館しましたが、戦後に生まれた私にとってイメージのしづらい戦争の悲しさ苦しさなどを感じられたと思います。私の父と母も戦争に関する事などはあまり話はしないので、良い会話の元となれるかと思います。

2016年08月17日

港区高輪在住  増田 春江 様 (90才)

乙14期小島三良の妹です。

昭和20年2月21日に小笠原周辺の海域で特攻でサラトガ輸送船に体当たりして散りました。2月21日は兄の命日と思い毎年詣ります。

私も、兄の命日となった2月21日に90才の年を迎えました。

あと何年ここに冥福を祈りに来られるかわかりませんが、特攻で亡くなった若い青年たちを涙なくしては拝めません。

2016年08月17日

茨城県水戸市在住   坂場 寛正 様(54才)

私は、本日豫科練平和記念館及び雄翔館を見学させていただきましたが、日本の今の平和というものは、先人達の命をかけて守ってくださったと改めて思いました。

現在の政治の世界を見ますと、野党のつまらない言動にうんざりさせられます。

私は、一日本人としてきちんと若い人たちに命の許す限り、正しい歴史を伝えていくつもりです。

2016年07月22日

土浦市在住    倉永 えりか  様

6月28日に豫科練記念館研修に参加させていただきました。最初に行った雄翔館には、豫科練出身者の遺影や遺書が展示されていました。出撃命令直後に家族宛てた数々の遺書に心を打たれました。どの遺書にも戦地に飛び立つ前向きな意思が綴られていて、最後は必ず家族の無事や健康を気遣う言葉でした。

豫科練記念館を研修して(倉永えりか)

2016年07月22日

土浦市在住   中野 友人 様

現代の日本人は、自衛の意識は低いといわれている。戦後、自国の防衛を他国に任せ、経済発展を優先してきたことが、その原因であると考えられる。しかし、本当の原因はそれだけなのだろうか。

豫科練記念館を研修して(中野友人)

2016年04月07日

調布市深大寺東町  飯塚 千寿子 様 (高齢)

 彼岸墓参の帰途寄らせて頂きました。当時の若者の国、親を思う心、覚悟の死への旅立ちに簡単には言い表せない思いをしています。先週の国会では安倍総理の安保法案決定への道筋のご苦労にひとりの国民として安倍総理だからこそ結果を勝ち取ったと、私の周辺では喜んでおります。今の日本は戦後の教育のなせる業か、国を考える、子孫の在り方を考えるというような視点が殆どなくなっているように見えます。

 高度経済成長で、豊かに生活できた世代は、やはり自分の事が最優先という事なのでしょうか、国会議事堂をとりまくデモの人々は、全部が日本人とは思えません、在日の中国人、朝鮮半島の両国人が70万人以上と聞いています。彼らは大使館筋なり、総連等から号令ひとつで集まるとも聞こえてきます。  

 青少年の育成には、国にの力が必要です。今現在民間の力だけではどうにもならないと考えています。

勿論民間草の根の力も大いに必要なことです。

   (平成27年9月21日 ご来館)

2016年04月07日

群馬県  女性 (57才)

 私達は戦争と言ってもなにか映画の世界のような気がします。

しかし、この様な資料を見せて頂くと、50年間何と幸せな毎日だったかと思います。

今はあちらこちら身体の具合も悪くなり始め「何で自分は運が悪い女」とか、「夫の不満」ばかり言っています。

若くして命を落とされ、その上に生きている私達、少しばかりの事で不満を言っていたら、靖国神社で怒っているでしょうね。

どうぞこんな私達ですが天国よりお守り下さい。昨日安倍内閣が安保法案の改正が通りました。これを思うとあまりいい法案ではない気がします。また、この様な若者の死が待っている様な!(夫婦で来ました、夫は4年間自衛官でした。)

 (平成27年9月19日 ご来館)

2016年04月07日

横浜市金沢区  金澤 了 様 (61才)

 國の為に戦った人々がいた事を絶対に忘れてはいけない!!

  (平成27年9月6日 ご来館)

2016年04月07日

福島県岩瀬郡鏡石郡   菅野 杏奈  様  (22才)

 本館の後に見学に来ました。 

 私と同じ年代の方々が多くの地で亡くなっていた事は以前から知っていましたが、この雄翔館にある青年一人一人の顔を拝見し、まだ生前にやり残した事は山のようにあったのではないか、また最後に会うべき大切な方もいたのではないか、伝えたい事があったのではないかと考えると、とても悲しい気持ちになりました。

 今この世の中簡単に会え、そして言葉を伝えることができる。

そんな今の時代がある背景には沢山の若き青年の努力と犠牲があったことを改めて感じることができました。

 地元に帰ってから今日知る事ができたものを周りの方に教えることができたらと思います。

とても良い勉強になりました。

ありがとうございました。

 (平成27年9月5日 ご来館)

2016年04月07日

鹿嶋市城山   武藤 隆 様(47才)

 本日始めて来館しました。

先人方がいたからこそ現在の平和な世の中があると痛感しました。今後も後世に伝え残していただきたいと思います。

 (平成27年9月5日ご来館)

2016年03月19日

世田谷区宮坂  四家  様  (20才)

この度は貴重な資料の数々に触れる機会をいただき、大変勉強になりました。

どのように思われるか分からないのですが、私は軍歌からこの戦争に興味を持ちました。若鷲の歌もその一つです。

今回、緒事情により合格をいただいた進学は辞退させていただくのですが、筑波大学を受験しました。

出発までの時間、ふと「若い血潮の予科練の・・・今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ」の歌詞が頭に浮かび、つくば市から土浦市はさほど遠くないと調べた結果から参りました。

戦争は悲惨だ、それは当然思いますが、それだけでは何か足りないような気が私はしました。紹介や遺書・遺品を見させていただいているうちに、両親思い兄弟思いの普通の私と同年位の青年達が、国のため民族のためとどんなに劣勢であっても文字通り命をかけて臨んでいった精神、これを理解し大切にせねばならぬと感じました。でなければ彼らは浮かばれないとすら私は思います。そのための雄翔園、雄翔館であると思いますし、これからも残り維持されて欲しいと強く感じます。

少額ですが寄附させて頂きます。私の浪人は続きますが、大学生になりましたらきっと海原会の学生会員になりまして、会や館の維持に少しでも貢献できたらと思いました。


このたびはご来館いただき、そしてまた感想文を寄稿いただき大変ありがとうございました。

私ども海原会会員や役員もみんな、四家様と同じような気持ちで活動をさせていただいております。当面は、大学受験という目標に邁進され、栄冠を勝ち取った暁には是非学生会員として共に活動をして参りましょう。

心から、入会をお待ちいたしております。

海原会 ホームページ担当理事

2015年11月15日

福島県いわき市在住  西山 薫 (67才)

大変有意義な展示内容でした。亡父が戦争体験者でした。(占守島の戦い)

2015年11月07日

習志野市実籾  山川 ヨリ子 様 (74才)

若者の写真が一杯あり、終戦間際に亡くなられた事、痛ましい。

男の子(孫)がいますが絶対戦争には行かせたくない。人を殺す事や、戦争に行くことは絶対にやるべきではない。

人間を大事にし、物を大事にし、毎日笑顔でいられる世の中になって欲しい。

若者を死なせてはいけない。写真を見ていると、我が子のように思い、涙が出ます。

2015年11月07日

千葉県千葉市在住  千葉 様(64才)

わが息子が孫がと思うだけで恐ろし感情につつまれます。

この館を創設された方々の思いと本日の私の気持ちは異なるかもしれませんが。

人が人を駒のように扱う戦争はあってはなりません。

しかし、志願する若者を育てたのも教育。教育は恐ろしい。平和の声を大きく大きくしたい。

2015年11月01日

住所氏名不詳 

今が平和でよかったと、つくづく思いました。ありがとうございました。

「平和」は努力によって守られていると気づかされました。

当時の教育に驚きます。教育って大切ですね。

豫科練記念館これからも続けてもらいたいです。がんばってください。

2015年10月10日

札幌市中央区在住  山本 陽之 様(年齢不明) 

まだ若い人々が自分の意志ではなく、国の意志で死ななければいけない、というのは、とても残酷だと思った。

2015年10月07日

住所年齢不詳  清水 様

皆若い人達で国を思うとは言え、死んで行くことに無念はなかったのでしょうか。

この頃戦争の話題が聞かれますが、平和のために死んだ人の事を思うと涙になります。

この平和はいつまでも続くよう、一人一人の努力が必要と思われます。

2015年10月07日

千葉県印旛郡在住  杉山 隆彦 様(40才)

若い兵士が国の為に尊い命を投げ出す。それが本当に痛々しい。生きていれば幾らでも楽しい事がある。

それなのに家族、友人、恋人を残して祖国に殉ずる。若い彼らの無限の愛国心に感動した。日本人とは戦時中ここまで国を愛していたのか。

この淋しい土地でほとんど娯楽の無い生活を数年過ごし、死地へ旅立っていった若者達。

幼い頃から憧れた大空への飛翔が死への旅立ち。余りにも切なく、そして崇高な旅立ち。

遺影を拝見すると兵士たちの瞳は澄んでいる。恐らく予科練の頃から死を覚悟していたのでは。

あの厳しい修練を収めて祖国のために殉ずる。十代の頃からそう覚悟していた戦前の若者達の荘厳な生と死。

彼らがそこまで守りたかったこの国を発展させる。

それが日々の慰霊と思う。

2015年10月03日

栃木県真岡市在住  篠崎 充弘 様(37才)

今の日本は平和か、と問われれば否定の意はない。

しかし、それは若くして散華された方々の流した尊い血のお蔭。ただ失礼承知で申し上げるならば、親よりも早く先立つ事は決して親孝行ではない。しかし、そのような私の考え方を、遺書や遺品の数々は払拭した。

「空に憧れて」の豫科練の「志望動機」がやがて愛国のための「死亡動機」に変わってゆくことも、入隊を果たした時から覚悟されていたと思われるし、誇りでもあった筈。

英霊たちが残していったものから、哀しげは感じられない。むしろ当時本人たちが胸に抱いていたであろう「決意」のような、熱い思いが伝わる。

ご遺族の方が手紙にしたためておられたように、「神風を」を紙よりも薄く、喜劇よりも面白半分に認識している人は、一度この雄翔館や平和記念館を訪れてみるべきである。

神風攻撃隊は散っていったのではない。夢見た空へ羽搏いていったのだ。

私が来館した日、まだ蝉が鳴いている雄翔館にて、おそらく英霊たちが眠り見守っている中家族連れが仲良く歩いていた。これが日本の平和な光景なのだな、微笑ましく思った。

2015年07月07日

住所氏名不詳

老人有料介護をしている者です。

今日は七名の利用者さんを連れてきました。

私は昭和21年生まれで、ここに初めて来て、涙が出そうでした。若い方が随分亡くなられ、本当に大変な戦争は、もう起こしてはいけない、と思います。

2015年04月24日

横浜市港南区 福島 様 (48才)

私が見学させていただいた日は、ちょうど陸上自衛隊の新隊員の方々の研修と重なったようで、私も傍らで訓示を拝聴させていただきました。またとない機会を得られて、誠に幸いであったと存じます。隊員の方たちのお邪魔になっては申し訳ないので、早々に切り上げさせていただきましたが、英霊のご遺品の数々には心を打たれました。展示方法のご苦労などが伝わって参りましたが、やはり施設の老朽化が気になります。当方ご縁がありまして、東京原宿の東郷神社に、しばしばお邪魔する機会があったのですが、貴施設の事は最近まで存じ上げませんで、新宿の平和祈念展示資料館にあったパンフレットで知りました。もう少し、宣伝を強化され、また幾らかの入館料を徴収しても良いのではないかと思いました。これからも、国の為に命を捧げられた若き英霊の御心を、いつまでも伝えて行って戴きたいと思います。

2015年04月12日

ブラジリア・ブラジル 前添 様 (77才)

この度私は遠くブラジルの地からまいりました。私も幼い頃まだ小学一年生の頃戦争を知っております。その頃東京池袋に住んで居りました。多くの遺書、遺品を拝見しまして、幼いながらも戦争の悲惨さを覚えて居ります。戦争のない現在の日本、この平和が長く続きます様心から願っております。

2015年04月11日

我孫子市栄 ふるいち 様 

戦後、GHQによって「太平洋戦争」と教えられてきました。しかし、英霊たちは「大東亜共栄圏」を目指し、「大東亜戦争」を命をかけて戦い散っていかれました。彼らに「太平洋戦争」と言ってもきっと何のことかわからず自分たちの散った戦争にまた戦争があったのか?と不思議に思われるのではないでしょうか?小さな事ではありますが、太平洋戦争という間違った呼称を改め、大東亜戦争と呼びましょう。彼らが戦ったのは間違いなく大東亜戦争です。太平洋戦争という言葉は英霊たちは知りません。命を掛けて散っていかれた英霊に対して失礼にあたるのではないでしょうか?すみません。

2015年04月09日

稲敷郡阿見町 笠間 様 (53才)

戦後七十年の月日が流れ、若者達の多大なる犠牲の元に、今の日本が存在する事を決して忘れてはならない。感謝いたします。

2015年04月04日

土浦市  狩野 様 (34才)

ただただ頭が下がる思いです。今の私たちが何不自由なく生活していけるのは、この方々のおかげだと思っています。18才や25才、まだまだこれからの人生の方が多いのに・・・・・。戦死、ご本人、ご家族の方の気持ちを思うと胸が張り裂けそうです。今日は息子と二人と見学に来ました。これから、この真事実を伝えていきたいと思います。いつかは靖国神社にも、参拝したいと思っております。

(平成27年4月4日 投稿)

2015年04月01日

常総市水海道  女性・氏名不明 (50才)

若き優秀な多くの人達の犠牲の上に現在の日本の平和がある事を深く受けとめます。

これからの日本を考える良い機会となりました。貴重な写真やお手紙を拝見できてとても有意義です。

(平成27年4月1日 投稿)

2015年03月31日

住所・氏名不明 (61才)

阿見に越して来て20年になり、広報でこの記念館は知っていました。先日九州旅行で、知覧平和記念館を見学して、若い子達が戦争で命を失ったことにかわいそうで胸がしめつけられるようでした。

そして近くにありながら見学したことのなかったこの会館に来てみようと思っていました。ここ(土浦)はひっそりとしていますが、知覧は観光地となっていて、この記念館も、もっと関東近辺の方々に来て頂ける様にアピールをしたらいいと思いました。何より御国の為に散った若い命の上に今の日本の平和がある事を若い世代に感じて欲しいと、せつに思いました。      (平成27年3月31日 投稿)

2015年03月12日

茨城県牛久市  矢野様(60才)

戦後70年今の日本は「お国の為、男子の本懐」と言って亡くなって行かれた方にとって、良かったと思ってもらえる日本なのだろうか?と考えさせられます。

死んでいく時に「笑ってお父さんお母さんと・・・叫んで死んでいった」お気持ちを思うと、涙が止まりませんでした。他国では、いまだに爆弾が落とされ、お年寄りや女子供の人が、何も避けることも出来ずに死んでいっとています。何故戦後七十年経っているのに、こんな無意味で非道な事が続くのでしょう。戦争を経験した父によく「感謝と思いやりを」「兄弟姉妹仲良く」「ご先祖様あっての自分」とよく言われたものですが。

健康で、働けて、家族と一緒にご飯を安心して食べられる事を感謝しなくてはと、つくづく思い返させて頂きました。本当にありがとございました。   (平成27年3月12日 投稿)

2015年03月05日

三鷹市  西野様(46才)

今日の繁栄は、このような先人の皆様のおかげと改めて思いました。

今の幸せをかみしめて、又昔の戦争を思いながら二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならないと感じた次第です。                              (平成27年3月5日)

2015年03月01日

土浦市常名  島田様(65才)

平成二十年に来館してから、月日がたち立派な記念館もでき、戦後世界の情勢にうれうを感じていた私は、又、映画永遠の0を見て本を読み、新たに心に期するものがわきあがり、国の為に若い命を散らしていった、方々のご冥福をお祈りしたく、また、このような戦争を起こしてはならないと平和への気持ちが強く願うものです。

近くに住んでいながら、その時代をしのび、厳しい訓練の中にも少しは少年らしい語らいがあったことを!土浦で、少しでも故郷への想いをしのぶことができたのでしたら、ほんの少しホッとしている今日の私です。

(平成27年3月1日 投稿)

2015年02月21日

新潟市北区  竹内 様(60才)

 今日ここに来られ、大変有意義だったと思っています。時間を充分とり、ゆっくり拝見いたしました。感動しております。

 今日は妻も一緒ですが私より妻の方が深く感動している様です。

歴史の一ページとして片付けることなく、私達が平和というものが、どういう土台の上に建っているのかを良く考えるべきだと思っています。

 病気には予防がある様に、何かの時に備えは必要あると思いますが、使用せず平和が守れるなら、それが一番であることは間違いありません。

”温故知新”何があったのかを正しく考え、今を生き、子供に伝えていくことが大切と思います。

2015年01月18日

立川市上砂町 則俊 様 (12才)

戦争というのは、とてもおそろしい事だとあらためて思います。はじめて特攻隊になったにもかかわらず、敵についとつして死んでしまうなんてとてもじゃないけど、私はやっていけません。みんなこんなにも若くして死んでしまうと言う事はもうない時代になったけれど、その戦争で亡くなった人たちの苦しみは決して忘れません。このことを忘れずに今後の日本がもっと良い国になるようにと私は願っています。

2015年01月17日

坂東市 中山 様 (55才)

以前知覧へ行きましたが、こんな身近でこの様な資料館があったとは思いもよりませんでした。「反戦」と口では言いますが、過去の歴史を直視し、尊い犠牲の上に今日がある事を忘れてはいけないと思いました。

2015年01月13日

伊丹市瑞穂町  冨田 様 (51才)

 定年をあと3年にひかえて、31年前大津前期教育で同期といっしょに歌っていた(若鷲の歌・空の神兵)ことを想い起させてくれました。

今は亡き父(S2年生まれ)と同世代の人が親にたいしてどう思っていたのかということがわかり感激しました。私の父は大変親孝行でした。

 最後に貴重な銃等私のわがままで見学させていただいた武器学校の広報班の方ありがとうございました。大変感動いたしました。

陸上自衛隊中部方面通信隊

2015年01月10日

住所 氏名 年齢   不明

当館に初めて来ましたが、立派な記念館で、説明して下さる方もわかり易く、平和ボケしている現代人に、もっと来館してもらうようにアピールをしていって下さい。現代がいかに幸せかを改めて感じました。

2014年12月19日

さいたま市大宮区  永村 様 (66才)

 若鷲の歌を聞き涙が出ました。ここに来るのは三度目です。

外が大部変わりましたね。二回目には父母を車でつれてきました。

 父は、6年前に87才で亡くなったのですが、戦時中飛行機乗りであり、私が幼い頃には、マフラーや眼を守るサングラス、千人針の布や軍刀が等がありました。

酒を飲むとよく「加藤隼戦闘隊」の歌をうたっておりました。以前雄翔館の上部にあった写真や無線の電鍵等はなくなってしまったので、ちょっと淋しい気がします。今の私達があるいのは皆この方たちのお蔭であり一人一人の文章を読んでいると涙が出てきます。

 世界を見ても「平和」が大変難しい時代だと思います。何年に一回かここを訪れさせてもらい、身が引き締まる思いです。

本当にありがとうございました。

2014年12月12日

牛久市南  堀 様 (73才)

当時の若者が、自国を思い、大国との戦いに挑んで、それが現代に繋がったものだと思います。現代の日本情勢をみると誠に情けないと思われます。誰が責任を、いまなお難しい状況にあります。サイパン・グアムに赴き日本のとった裁量がいかにとぼしいことでさびしいことでしょう。バンザイクリーフでの身投げ、戦没者への想い、数かぎりなく残念です。これからの日本の進む道を、二度とあやまちを繰り返すことなく平和でよりよい国でありますように。ありがとうございました。

(平成26年12月12日投稿)

2014年06月05日

神栖市大野 寺島様(25才)

初めての来館です。当時を生き抜いた予科練の少年達その想い、その覚悟を感じた。戦争はいけない。ただ戦った英霊は非難してはいけない。彼らは、その若い命を国、家族、愛する人たちに捧げたのだから。

2014年05月30日

仙台市青葉区 土谷様(70才)

国の為に若い命を捧げられた皆々様に、その遺品、遺書を前に言葉なく頭を下げるのみです。今私達が繁栄の世に生活できるのは正に英霊のお蔭と、心より感謝致します。

2014年05月29日

住所不明 石津様(53才)

7年間住んだ土浦から、転居するにあたり、「やはりここに来なくては」と思い、ようやく来ることができた。二十一才の娘と一緒である。娘は人生に迷っているため、その道標にさせていただくことを願って来た。同年齢の若人が国や家族を思い、亡くなっていった事を知り、自分が如何に自己中心的であるか、きっと気づいた事と思う。今晩、感想を話し合います。有難うございます。

2014年05月27日

豊島区長崎 塚田様(70才)

平和のありがたさ。普通の生活が送れる有難さに感謝します。正義の戦争などありません。立派な戦死者などありません。若くして散った命を思いますと涙があふれ、今の若者達に平和の尊さを知ってもらいたいです。物があふれ豊かになりましたが人の心が失われた昨今です。お庭は手入れされ心が洗われました。ご冥福をお祈りいたします。

2014年05月24日

土浦市大畑 中川様(56才)

数回来ておりますが、雄翔館は初めてです。今の息子がその時代であれば、今日こうして二人で来られなかったと強く感じました。今の幸福は味わえなかったと思うと命がある事が、どれだけ幸せなことかと思います。

2014年05月18日

稲敷市柴崎 津田様(63才)

貴館へは二度目の訪問ですが、大変感銘を受けました。ただ、とても大事な点が抜け落ちているのが残念です。というのは、展示物はほとんどが「予科練生が死んでかわいそうだ」という趣旨のものばかりで、情熱的すぎるという点です。肝心なことである「あの大東亜戦争は肯定すべきかどうか」という点を明確にすべきではないでしょうか。もちろん私はあの戦争は肯定すべきものだと考えます。「戦争はすべきでない。」というメッセージを伝えても英霊たちは慰められません。あの戦争は正しい戦争だったと明言すべきです。それこそが、亡くなった予科練生たちへの本当の敬意になると思います。ありがとうございました。

2014年05月17日

古河市長谷町 北山様(43才)

平和ボケしている現在の世。二度と戦争を起こさない為にもこういった資料等は後世に引き継いでいかなくてはいけないと切に願います。犠牲の上に成り立つ平和。当時の方々の無念の意志を引き継ぐ事こそ我々がしなくてはいけない義務だと考えます。

2014年05月17日

長生郡長生村 麻生様

すばらしい記念館を残して下さいまして有難うございます。日本国の今あるのは、貴方たち(英霊)の頑張りがあったからこそです。今の日本の国民全員にこの記念館を見学させたいと思う気持ちです。私も、もし日本が最悪の事態になった時は、命をかけても日本を守りたいと常に思っています。

2014年05月17日

伊藤様

十何年前に一度来ました。何よりも思い出に残っているものはナレーション(男性の声)が流れていたことです。自筆を見て読むのも良いですが、目の悪いお年寄り等は、声で聞くのも心に残るものです。文明が進み戦争の事が忘れ去られてゆくこの頃、この若くして散った人たちの事、日本国民は忘れてはいけません。

2014年05月14日

柏 囲碁愛好会

戦争の残酷さを、嫌というほど知らされました。現在の日本の幸せが嘘のように感じられました。

2013年05月15日

山形県山形市 堀井様

大変貴重な資料を拝見させて戴き、ありがとうございました。乙飛13期、斎藤作右衛門さんは、私のおじにあたります。母親のお兄さんです。手紙の文面に出ています。キン子が私の母です。その母も8年前に亡くなりました。何も語ってくれなかった母でしたが、父には話を聞き、息子と一緒に伺いました。その父も去年亡くなり、親類の存在を伝える為息子に、お国の為に散った作右衛門さんの手紙を見せに来ました。親子共々、感極まれり、色々とこれから話し合いたいと思います。次回は是非本日来れなかった妻も連れて伺います。ありがとうございました。

ページトップへ